2008年10月9日

■マッキーの贈り物

 つい先日、大好きな"マッキー"こと牧浦徳昭氏がご逝去なさいました。あまりに大きい存在だったので、ひとこと書きたいと思ったら、こんなに長くなってしまいました。でもこれでもほんの一部分なのです。泉のように湧き上がる思い、留めておくことができなくて、、、。まさに"独り言"ですが、どうぞ許してくださいませ。

 



 たった今、東京の友人菅野聖ちゃんと久しぶりに電話で話していました。共通の大好きな知人のマッキー(私たちはいつの間にかそう呼ばせていただいてました)が、闘病の末この10/6の正午に亡くなったからで、思い出話しが尽きません。「マッキーは、いつも心に居た人だからねえ」。

 そう、そう思って偲ぶ方は、幾百どころではないでしょう。影響を受け、感謝の言葉が見つからないという人は、凄い数にのぼるはずです。私にとってマッキーは、本当の父のように、いえ、ある意味で実父よりも親密に感じている人でした。もしマッキーとの出会いがなかったらと想像できないほど、親身になってアドバイスをくれたのです。かと言って頻繁に会っていたわけでも電話をしていたわけでもありません。絶妙なタイミングで手紙をくださったり、人を紹介してくださったり、びっくりするような楽しい贈り物が届いたり(馬グッズ多し)。そして「レイコさん、それはね、、、」とやんわりと"私が私らしくあるための"助言をくださったのです。一番の理解者&応援者と言っても過言ではありませんでした。尊敬してやまない、それはそれは大好きな存在でした。

 マッキーの晩年の肩書きは「プロデューサー」です。10年近く前、私が「この朝霧で"いやしの空間"を作りたい!」と叫んだ時に、ちゃちゃっと「こんなのかな?」と手描きの青写真を届けてくれたり(なんとそれは、まさに今自分が思っている姿とぴったんこ。でも当時は自分の能力と想像力が追いつかなかった!)、その後フェアリーカフェから自宅のログハウスまで我が家の地鎮祭と竣工式を執り行ってくださった沖縄のデビー・メーザさん(土地ごとを収める方で、かつてわが社で田圃に畑にと飛び回っていた梶川真理子嬢が今は、彼女の元で働いています)を紹介してくださったのもマッキーでした。

 最初の出会いは、1999年。私がエッセイを連載させていただいてた『乗馬ライフ』の担当編集者(のちに編集長を勤めた牧浦千晶さん)が、マッキーの娘さんでした。彼女との縁からですが、よく聞くと、そもそも「レイコさんにエッセイ書いてもらったら」と勧めたのは、私とは全く面識がなかったマッキー。パリダカで走る私を見て"ピン"ときたそうなのですが、"馬"というキーワードはそれからもずっと続いており、私がウランを飼い始めたときに一番喜んでくれたのも、この牧浦親子でした。私が巴御前や木曾義仲に興味があった時に、細かい資料を集めてくださり、一緒に関西を旅したこともありました(懐かしい!! 調香師の友人、金澤明美さんとの3人の旅はユカイだったなあ〜)。仲間とぞろぞろ伊勢参りもしたなあ。そう、日本のあちこちでマッキーと逢ったのです。

 元々は京都の呉服問屋で、長男(現在は栗東で競走馬の調教助手)と千晶ちゃんはその時に乗馬の道に入ったそうです。諸事情あって会社を閉めることになり、その後しばらくたってからは、様々な方のプロデュースをなさってました。一番関わりあったのは、日本文化研究者の松岡正剛さんでしょうか。そして呉服屋時代、その才能に惚れこみ私財でサポートした方に、和紙人形作家の内海清美(うちうみきよはる)さんがいらっしゃいます。和紙人形250体で平家物語を表した『観●平家』は話題を呼び、日本のみならずフランス(パリ)、オランダ(ハーグ)を回ることになるのですが、それは無念の平家にとって「癒し」となったはずです。自らの体験から得た、「ものごとを進めるときの大切なこと、決して冒してはならぬこと」から始まって、「生きる姿勢」「本物とは」etcを、実に分かりやすい言葉で伝えてくださいました(受け手=私の器に問題はあったのですが)。誰よりも強く"ちょっと前には当たり前にあった日本のよいところ"を意識して残したいと考えている方でもありました。

 いただいた本の中で大好きなものに、山本美千子さんの「【四季の行事】のおもてなし(PHPエル新書)」があります。室礼(しつらい)の大切さや身近に実践できる心のあり方を書いた、それはそれは素敵な一冊。本の世界もそうですが、マッキーの友の幅は驚くものがあり、お会いすると、いつも「レイコさんに合わせたい人がいる」と目がキラキラ。「今度は」が延々と続いていくのですから、おそらく私の把握している友の輪の何百倍?はあったのでしょう。音、映像、造形、紙媒体、旅、食、文学、科学、建築など、ジャンルに固執することなく、あるとあらゆる分野に精通してらっしゃいましたが、逢わせたいと仰る方は、振り返ればその道のパイオニアの方ばかりでした。年齢や有名無名には拘らず、本質にのみ拘ってらっしゃいました。バイクの日のイベントで出会った大倉正之助(大倉流大鼓方能楽師)さんの話が出たかと思うと、「那須のホテル・二期倶楽部にとてつもなく旨い野草料理を出してくれる人がいる」。実は後者の方は、15年ほど前にテレビ番組で取材をさせていただいた秩父の林業従事者だった山中秀人さんと判明。当時私も、"ずりあげうどん"という驚くべき旨さのきこり料理を教えていただき、崇拝していた方なのでひっくり返ったのですが。

 マッキーは、ご縁が大好きでした。いつも人と人の間にいて、さり気なく出会いの場を作ってくれました。東京で「縁側」という小さな会も催してらして、そこには異業種なれど刺激しあえる様々な方が集ってらしたそうです(誘われたものの、残念ながら一度も伺うことができませんでした)。お会いしてませんが、美内すずえさん、三國連太郎さん、、、数え上げたらキリがなさそうです。肩書きではなく、いつも「この人はこういう風でここが凄いんだ!」という説明をいつもしてくれました。世の中にこんな人ばっかりだったら、すごく魅力的な世界になるなあ、と思ったら、「そうなんだよ。きっと近い将来、こういう人の縁が広がって、縦横の枠を取っ払って、きっとすごい世界に変えられるんだよ!」。夢ではなく、マッキーが言うと、本当にそうなっていくような気がしました。

 実は亡くなる直前に「絶対に逢って欲しい」と言っていた方が、NPOコミュニオン名誉顧問の鈴木秀子さんでした。お〜〜〜っそろしく多忙な方なので無理なのに、たまたま東京で時間が取れるかもということで誘われ、この夏に赴きました。実はお会いするまでに幾冊も読んだ鈴木さんの著書が、そのままマッキーの遺言になった気がしています。元々私も「死ぬこと」自体には恐怖感がなく、それは不思議な体験の中で、「きっと前世もこの後もぐるぐる繋がっている」ことを私なりに把握していたからなのですが、鈴木さんが20代の時に体験したという臨死には、「スカーッ!!」とするような晴れやかな文章が綴られていました。
 勝手に記憶で書かせていただきますと、、、(すみません。先生許して)、足の下に大きな蓮の花があって、その花びらが一枚一枚ゆっくりと剥がれていくのですが、剥がれるたびに「ああ、これであのことから開放される」「ああ、もう考えなくていいんだ」と、誰もが持っているであろう"しがらみ"からどんどん開放されて、軽くなっていくそうなのです。究極の幸福感。で、最後の一枚が剥がれそうになり、「これで完全に自由になれる!!」と思ったところで鈴木さんはこの世界に戻って来られたのですが。。。(それを伝える為?)。

 さて話しは、このHPの全てを管理してくれている札幌在住のあっちゃんに飛びます。彼女と私もかれこれ8年のご縁になりますが、共通の思いがたくさん。死生観も似ており、昨日送られてきたメールを、勝手に載せてしまいました(すみません!)。
『本当に、死んでも意識は続くことを、みんなに知ってほしいです。 命は肉体が死んだらそれで終わり、では全くないということ。今の身体から抜け出るだけで、肉体があることで受けていた全ての制限から解放されて、思いで時空を飛べること。 こちらの世界からは、ここまでよく頑張りましたの卒業式だし、あちらの世界ではお帰り、お疲れさまと迎えてくれるのだから、私は死後の世界がすっごく楽しみです♪ でも、こっちで肉体をもっているときしかできないことがあるわけだから (そもそもそれをするために生まれてきているんだから)、 生きているときを最大限に生かさないとですね〜ん!! By Atsuko』

 マッキーは特に最後の幾年か、老子のごとくゆるやかにたおやかに自然のリズムと共にありました。さらに今は、とびっきりの笑顔で飛びまくっているような気がします。実は亡くなったことを聞いて私は、今までにないような経験をしました。もちろん「この先今までのように逢って話しをすることのない寂しさ」は、山のようにあります。哀しくて空しくて心がからーんとなってどうしようもなく辛いです。でも、マッキーのことを思えば思うほど、何処からともなく愛情が降ってきて、今までで一番近い存在に感じられるのです。生きてらっしゃる時は何百キロと離れたところにいたのに、亡くなったら思い切り近いのです。傍というより、一体。「なあんだ、いつもここに居るんだ!」。言葉を交わさなくても通じるし、どれほどマッキーがみんなに愛情を注いでくれていたかも分かりました。すっごい量で、光のシャワーでばーって降り注ぐように感じたのです。私はなんともいえぬ幸福感に包まれ、そこには死に対する不安感は微塵もありませんでした。マッキーがいままで私に何を一番伝えたかったのかも、今なら分かる気がします。不思議ですが。そう、不思議といえばマッキーは、昨日も夢にずっと出てきてくれました。彼の親しい仲間とわいわいやってるのですが、私は今まで亡くなった方の夢はほとんど見ていないので、これも初めての経験でした。

 昨年は、嬉しいことに3度もお会いする機会がありました。そのひとつが、「ウランのために山羊を飼うこと」を悩んでいた、ちょうど一年前。私にとってはさらなる負荷であり、冒険。その人生の変革期に、「どう思います?」と聞いたところ、なんと大賛成して下さり、安心して今の状態に向かったことがあります。あの頃の私と言えば、独りで具合の悪いウランを抱え、仕事に追われ、けっこう悩んでいました。そしてその後、昨年の11月3〜4日に福島県の飯舘で行われた「第3回日本再発見塾」にゲストとして推薦してくれたのも、マッキーでした。もしそれがなかったら、今の私の生活はなかったかもという実に深い意味のあった発見塾。それは、まさにご縁という贈り物でした。でも、その話を紹介したいと思いつつも昨年のどたばた期に突入し、まったくアップ出来なかったことを深く反省。流郷せんせいの個展もそうですが、「きちんとね」と言われているような気がします。後回しはナシ、ですよねーーー。はーい。

 さて、飯舘の後に生まれた山羊達と私の生活ぶりを見にきてくださったのが、5/26。そして鈴木さんとの出会いの場を作ってくださった6/25も合わせて、私の宝物だったマッキーの素敵な笑顔を見ていただけたら幸いです。
 今は遠く離れた栗東(りっとう)のご自宅で、告別式を終え、まさに出棺という時間です。飛んでいきたいところですが、ご家族だけの密葬なので(マッキーらしい、、、)、この雨上がりの朝霧でうろうろと落ち着きなく散歩をしたり、動物と話したり。「マッキー!!!!!」幾度も心で叫んでいました。

 どこまでもお茶目でユーモラス。世の中の動きには敏感で、何に対しても真剣。そして独特の感性とで洞察力と言葉でたくさんの友人をサポートしていたマッキー。私は生きている間ずっと、マッキーの言葉を思い出して噛み締め、それを自分の人生に活かしていく日々になりそうです。これからもこの空間で私たちを見守ってくださいね。そして、いつかまた別の世界で再会できることを、とってもとても楽しみにしています♪ 長い間、ありがとうございました。 出会えた幸運に心より感謝しながら。合掌。

2008/10/8     

思い出の5/26。ここ最近ずっと一緒に動いていた奥様の照代さん(右)です。車椅子を使っての移動なれど、た〜〜〜くさんお話できました。 やはりマッキーが大好きな高月美樹さんと、屏風などの表装作家の麻殖生素子さん。ウランのうたた寝に寄り添って。。。誰もがやさしい笑顔で、幸せな時間が流れていました。
寒い日でしたが、以前メキシコで買ってきた私愛用のポンチョが、何とも言えず似合っていました。にこにことまるで布袋様のよう?
みんなでヴァーチューズカードを引いたのが、楽しかった。奥にいる情報意匠研究所の平野雅彦氏、実は8年前に仕事で知り合った静岡の方で、「あれ〜、何でマッキーの知り合いなの?」。 マッキーの愛娘、千晶ちゃん。昨年、Justin Hofstein氏と結婚して、今はフロリダ在住。この6月にDVDで学べる「はじめよう!乗馬(スキージャーナル株式会社)」を出版したんだよ! 6/26。めでたいが最高に表れたちらし寿司♪ そう、鈴木さんに会うために、東京の麻殖生さん宅にみんなでお邪魔しました。
左から3人目が鈴木秀子さん。とっても気さくで上品で優しい方なのん。メモしたくなるような言葉を次々と語ってくださった夢のような時間でした。 満足げなマッキー。旅館すぎ山の杉山史さんも同席しており(これまた再会!)その場で長良川の鵜飼い行きが決定。でも私は参加できず、なんとこれが最後の笑顔となってしまいました。 ほんとうに美しい方ですよね〜!「日本再発見塾」の呼びかけ人代表の俳人、黛まどかさんと、ゲストの面々。
「までい」は手間ひま惜しまず、時間をかけて、じっくり丁寧にという方言。ホンマもんのスローライフを実践してきた地元の達人たちに昔の暮らしぶりを聞く。すーーーーっごくよかった。 参加者は全国から85人。地元200人。この夜は地元の民家に泊り込み、翌朝の満足げな顔といったら、、、。見ているだけで気持ちよかったよ。 作家の塩野米松さん。いつかはお会いできると(勝手に)思っていたので、うれぴゅーーーい。初日の行動をご一緒させていただきました。
つづき
次へ(2008年10月30日)
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