2011年3月18日

■ すべてが変わった日


 みなさん。この度の様々な試練のなか、如何お過ごしでしょうか。東北関東大震災で被害に遭われた方にはお悔やみ申し上げるとともに、今もたいへんな状況に置かれている方々には、心よりお見舞い申しあげます。一日も早い平穏な日々へ戻れますよう祈らずにはいられません。
 東北地方はもちろん、自分の足元まで揺れる中、被害の大きさを痛感しています。家族や仲間や財産のすべてを津波に押し流されたり、放射能の危険に避難を余儀なくされている方々に比べたら、計画停電なんて、何て事はありません。
 千年に一度の地震ですが、その後の苦悩は私たちの果てない「もっともっと」の延長線上にあった事態と思える(部分もある)ので、全員で早急に事に当たらねば…。 ちょっと話は飛びますが、90年代の終わりに遠くアフリカのニジェールで内戦があったのですが、その原因がウラン鉱石の利権を争うものであり、そのウランを求める一番のお客が日本だと知った時、たくさんの亡くなった知り合いや大好きなアガデスの町の人たちの命を奪ったのは、我々日本人=私なのだと解り、愕然としたことがあります。 何が正しいか間違っているのかは一概に言えませんが、これだけ電力や多くのモノに頼っていた我々の生活は見直す必要があるでしょう。少なくとも、生活や思考改善は「やればできる」と思った人は多かったのではないでしょうか。私は思った。

 3/15の夜中。震度6強の地震が、富士宮市を襲いました。朝霧のこの界隈は丈夫な厚い岩盤があると聞いていましたが、大きく揺れたものの被害はなく(ガラスの温度計がひとつ落ちて割れました)、お陰さまで無事に過ごしています。すぐにメールが沢山届き、「大丈夫だよ」と返事をしましたが、みなさん心配してくださり、頭が下がりました。懐かしい人や、津波にあった陸前高田出身の友人からも! 中には「HPを見たけれど、何も書いてなかったので、被害があったのでは?」という人も。そうですよね〜、ご心配かけちゃったですよね〜。

  実はここ最近アップできなかったのは、まったくもってその時間がなかったからでした。この数ヶ月、ほとんどの時間をUTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)のコース作りや地権者との折衝などに費やしており、まさに今回の災害直前までは、自分のカフェすら顔を出せない状況(パリダカ準備も負けた)でした。昨年実行委員のひとりになった時は、まさかここまで富士宮を駆け回ることになるとは思いませんでしたが、なにしろ“思い立ったら”の突進型なので、イノシシのように猛進しました。それは、濃く、充実した、実に楽しい日々でもありました。
 担当させて頂いた富士市との市境から山梨県との県境までは、市街地とあって難問が多く、寝ても覚めてもルートと格闘。トレランはマラソンと違って基本的には山道、そしてこのUTMFは2千人もの人が長い時間移動するのですが、たまたま富士宮市では通れる山がなかったので、可能性のあるオフロードを限りなく探り、見つけ、交渉し、なんとかつなげる事ができました。けれど、様々な許可を取らねばならないために、またまた修正につぐ修正。不可能とも思える課題を越える事、何十?何百? 
 
 けっして諦めることはなかったですが、ここまで燃えたこともありません。それはひとえに、たった45分で800人の定員が一杯になったフル(160キロ/制限48時間)の参加者が楽しみにしてくれていること、ハーフ(90キロ/制限26時間)の1200人がまず走る区間なので、なるべく楽しい道にしたいと言うこと。そして、一緒にやっている実行委員や自治体の方々の熱い思い。何よりも、行く先々でなんともはや優しい人に出会い、反対に励まされたことは、本当に大きな力となりました。
 何度も背水の陣(道がつながらない)という事態に陥りましたが、「いいよ、ここ通って」と自分の庭を通してくれた人、全面的に会社で応援してくれる人、営業時間をずらしてくれる人、「通行止めにしちゃえば」なんて無理を言ってくれる人…などなど、後光の射している方々のラッシュでした。戸を叩いたところは、ン百件。富士宮の東部と北部を怪しげにうろつく私を暖かく迎えてくれた住民の方々には、言葉もありません。
 そんな訳で、夜遅く家に帰っても、ずっとグーグルアースや地図とにらめっこで抜け道を探し、アイディアが浮かんで夜中に飛び起きては家人を驚かせ、果ては着替えるのを忘れてパジャマのままで地権者に向かったりすることも。そんな激しくも楽しい日々を送っておりました。

 

 今回の地震で思ったのは、平穏に暮らすそういった人々のすべてが一瞬で奪われてしまったのだと言うこと。誰もがそうだと思いますが、居ても立ってもいられず、何かをしなくてはという思いでいっぱいになりました。と思っていた矢先の富士宮の地震。あれからなるべく動かなかったので分からなかったのですが、さきほど、震源地に近い町中ではかなりの被害があったと聞きました。静岡県は岩手県への支援をするそうですが(頑張れーっ!)、私も地元のために動きたい。
  富士山麓で被害ということは、私が道を探して駆け回ったあの山々かも…と思うと愕然。一本一本山道を歩いて探し回ったことで、富士山からは、その凄さと激しさと存在の意味をたくさん教えてもらった気がしています。あああ、人も富士山も、どうか無事で。と言う訳で、富士宮市で被害のあった場所に出向き作業に追われているUTMF担当の市役所職員に「何かできることは!?」と聞くと、ちょっとですが、ありました!! 明日はさっそくお手伝いに行ってきます。こんな私でも役に立つ事がありそうで嬉しいです。 あと10分で計画停電。今日はなんとかアップできました。  
 最後になりますが、これだけはどうしても言いたい! UTMFでもお世話になる東電の送電線の下のルート。普段は入れませんが、歩いてみれば、そこはキレイに管理道が整備されており、私たちに電気を送るために、いかに努力をしているのかが分かりました。人知れず作業をする人の姿もたくさん見ました。当たり前に思うかもしれませんが、どんな山も崖も谷も越えて送り続ける事の大変さは計り知れません。歩いて歩いて歩いて、それが身にしみて分かりました。山で送電線を見ると「景観悪いな」と思っていたし、電磁波がまったく駄目な私ですが、素直に東電さんには頭が下がりました。今回の地震に誘発された事故で強く思ったのは、原発の是非よりも、原発を必要としない質素な暮らしに戻そうということ。少しでも出来ること、それが未来を作るのでは…。
                        メイリン写真提供/清水の舟津氏
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