vol.31 2003年 6月 4日  『ゆったり暮らせば』 第3回

産経新聞 平成15年(2003年)4月17日 木曜日 12版 18頁
『ゆったり暮らせば』 第3回 〜朝霧高原の出合い〜
砂漠と同じ広がりだぁ!


「貴方は何をしたいの?」「どんな夢を見たいの?」家が見つかるまでの半年間、毎日のように何かに問われました。単純に田舎に住みたいだけでは、打ちのめされます。理想の物件を発見→るんるんと見に行く→がっくり&断念→振り出しに戻る・・・その繰り返しが延々と続くのです。
 理由は様々でした。東京郊外の山間地から探し始めたのですが、ゴミの多さにまずびっくり。町境や沢には、たいてい大量の粗大ゴミが不法投棄されています。ツーリングでは見えなかった田舎の闇の部分に失望。じゃあ思い切り山奥の藁葺き古民家はというと、開かずの仏壇の間には先祖の位牌と遺影が山盛り並んでおり、扉を閉めた足でスタコラ退散。南アルプス山麓の別荘地では、敷地の両側に岩魚の棲む沢があって理想と思いきや、「大雨の時に流されるよ」と友人に忠告されて断念。豊かな自然と手ごろな値段にひかれて見にいくと、隣家の壁に手が届くよな別荘(これじゃ都会と変わらない!)というのもありました。
 難航する家探しですが、実はNGを出していたのは元夫ではなく、私の方でした。元夫は意外とこだわりがなく「とりあえず住んでから近くを探したら?」と妥協案を示しますが、そのまま”とりあえず人生”になってしまいそうな恐怖と、友人が来たときに「あなたたちらしいね」と言って欲しい私は、「いや、次を探そう」となります。”らしい”とは、「オモシロイ」でしょうか。
 私の初めての一人暮らしは、独身男性ばかりが住む長屋のアパートでした。共同トイレはエロ本の山ですが、人間観察にはもってこい。日本一周後は友人が営むビル屋上の十畳の工事現場プレハブ。電話も流しもガスもないけれど、毎日友人がわんさかやって来ました。二十代後半にはドラマの舞台になりそうな都会のマンション暮らしも経験しました。どれもが愉快で私らしかったし、朝日から夕陽まで眺められるのが自慢でした。それ故、ただ田舎で自然があるからといっても満足できないのです。
 そんな中、あこがれの軽井沢でぴったりの物件に出合いました。家賃十万円なのに林に囲まれた三百坪の土地には昭和初期の瀟洒な洋館が建っています。文句なく決定!
 けれど辺りを散歩すると、何やら工事が。気が付かなかったのですが、歩いて三十秒とかからないところに新幹線の線路が迫っていました。希望の風船が・・・またしぼむ。その帰路、車の中で二人で泣きました。いつになったら見つかるのか。それとも見つからないのか。
 けれどあきらめずに探していた六月のある日、何気なく通った牧草地で、思い切り気分が壮快になりました。視界には空の青さと地平線の緑だけ。「砂漠と同じ広がりだあ。そうよっ!私はこういうドカ〜ンとした光景が好きだったのよ!」。ピンときた私はその晩、まさにその日私たちが通り抜けた朝霧高原に住む友人に電話をかけました。

山村さんの仕事場からは青い空と広大な大地が存分に望める。  
 


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