vol.29 2003年 5月20日  『ゆったり暮らせば』 第1回

 「田舎暮らしについて書いてみませんか?」とお話を頂いたのは、今年(2003年)の3月でした。田舎暮らしという言葉もすっかり定着した今だからこそでしょうか、身近に興味を持って読まれる方がたくさんいるとのことです。家探しノウハウや暮らし方や心の内を好きなように書いてくださいと言われ、私は思わずにっこり。朝霧での暮らしは講演会でもはずせないほど大きなテーマですし、書きたいことが山ほどあったからです。
 さっそく春爛漫のころ、第1回目の連載が始まりました。実は書きながら、ずっと驚きの連続が続いています。正確に書かなくてはいけないので、初めに当時の日記とも言うべき予定表を見たのですが、それが面白いのなんのって!行動やその時の気持ちが、まるで今のことのように思い出せます。うんうん、そうそうあれは大変だった。あっ、そんなこともあったっけ。いや〜、頑張ったよなあ・・・と7年半前のことですが、すべてが鮮明に蘇り、自分でウケまくりました。
 そしてふと、一番いい感じで昔を見つめている自分に気がつきます。実はここでの暮らしは、今までいろんな雑誌で書いて来ました。そして途中で一冊の単行本にしようと幾度も思ったのですが、できない「何か」がありました。自然観、生活観、生き方と、自分の捉え方があまりに変化してしまうからです。その変わる速度たるや、ワークスライダー並み!?極端に言えば、一日で考え方が変わることもありました。でも、いつかゆったりと構えた中で回顧できる日が来ると思っていました。どうやらそれが今のようです。
 という訳で、『どうして今のレイコになったか』を、読む人も自分も見つけられる一石二鳥な?このエッセイ、毎週木曜日、産経新聞の家庭欄に掲載されてます。最初「全10回くらいで」と言われていたのですが、書いているウチに話がどんどんと広がって・・・今(5月20日現在)の時点では1年あっても足りなさそう(!)。いったいどうなるのでしょう。自分でも分かりません!担当の田中さ〜ん、ゴメンね〜。

雄大な富士山に抱かれて、自分のリズムでこだわりの暮らしを楽しむ山村レイコさん(後方左手は事務所、右は自宅)。  
 
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産経新聞 平成15年(2003年)4月3日 木曜日 12版 20頁
『ゆったり暮らせば』 第1回 〜都会から田舎へ〜 
転機は”最悪の出来事”から

 仙人になりたかったわけでも、農業をやりたかったわけでもありません。気がついたら目の前にどでかい富士山があり、モンゴルのような草原にぽつんと建つ酪農家屋に居を移し、呼吸を始めていました。平成七(一九九五)年、三十七歳の晩夏。
 父親の仕事柄、年に一度という転居を繰り返して育った私にとって、「生きる場所」とは血液の流れと同じく「移動すること」でした。親元を離れた十八歳の時から旅は趣味であり仕事であり、土地に固執することもなければ縛られることもないという生活です。そして東京生まれの私にとって、その母たる大都会に居を置きながら、日本やアフリカの砂漠を始めとする世界の国々へ行くという形は理想的でもありました。
 けれど人生の転機とは、突然やって来ます。思い返せば、十六歳でバイクに乗り始めた時も、十八歳で日本一周に出たときも、二十九歳で海外ラリーに出場した時も、三十歳で離婚した時も、どれも「激」がつくほどのショックがあったのち突然行動に移していました。けれどそのどれも、かなり前から”うずき”があります。「変えたい!飛びたい!やりたい!」という衝動が何年も続いてたまって、ある瞬間に爆発します。

 東京を離れて富士山麓にやってきたことは、人生最大の転機です。故にその”うずき”は半端なものではありませんでした。突然身体に変調をきたした三十代前半、私は苦しさと共にありました。おそらく化学物質過敏症でしょう。刺激物に触れると鼻水だらだら、くしゃみ連発、目はしばしば。仕事先ではせきが止まらず、じんましんは毎夜の友。一番参ったのは、顔の色素がどんどん抜けていくことでした。白斑症という名前がコワカッタ。明日死ぬとかいうのではありませんが、結局十五もの病気を抱えた数年間は、行動も心も大幅にトーンダウン。
 転機はある冬の朝でした。愛車のワンボックスに乗ろうとすると、何かが変。ないのです。奮発して買った高価なドイツ製のレーシングシート(運転席!)が泥棒の手で見事に消えていました。ぷちーんと何かが弾けました。「いつか空気のいいところに住もう」が三十歳からの願いでしたが、「もう、東京はいいや」。翌日には、田舎暮らしの家探しを始めていました。
 きっかけは、いつも最悪の出来事から始まっていることに気がつきます。でもそれは神さまからの贈り物。泥棒には「天罰くだれーっ」ですが、すみかが見つかった半年後には、「事件に感謝」となりました。そう、もしあのことがなかったら、今の私の暮らしはなかったかもしれないのですから。


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