vol.20 2002年 2月 12日  大地の呼吸にあわせた暮らし

 NHKの「未来派宣言」で九州の久留米で、ゴミ処理施設を取材しました。トレイなどのプラスチックから燃料の油を生み出すという再生プラントを、個人の力と知恵でやってしまった方が未来派でした。そしてその事務所にいた方が、都会から田舎への移住を促進するための情報誌発行やフォーラム活動をやっている「田舎暮らしネットワーク」のメンバーでした。本を読ませていただくと、面白いしものすごくハイクオリティ。いっぺんで気に入り、原稿を頼まれた時も喜んで引き受けました。「田舎暮らしを単に脱都会−自然志向という流れの中で捉えるのではなく、暮らし方の変革を通じて、社会や文明の在り方にアンチテーゼを提出していくオールタナティブ運動のひとつとして考えています」という編集員の言葉をしっかり受け止め、真摯な気持ちで書かせて頂きました。長崎県の南松浦郡で世話人をなさっている歌野敬さんは、とてもエネルギッシュで有名な方だそうです。いつかどこかでお会いしたいなあ。

エッセイスター第19弾  「田舎暮らし大募集」第5号・田舎暮らしネットワーク1998年
田舎暮らしに想うこと

 長く降り続いた雨が、今朝やっとあがりました。大気が光り輝き、山々がいつもよりくっきりと、そしてグンと近づいて見えます。図々しく「ウチの山」と呼んでいる富士山も、大きく伸びをしているようです。その神々しさに、しばし見惚れていました。自然暮らしを始めて良かったなと思うのは、こんなさりげない瞬間かもしれません。都会を離れて四年目に入りましたが、その間、何千、何万もの驚きがありました。それだけ自然に疎かったのかもしれませんが、ここ朝霧高原には太古の時間の流れと風景が存在しており、それらに触れるには、住む以外にないような気がしています。一分前まで雲に覆われていた富士山が、急にドンッと現れます。雲隠れするのも一瞬のうち。草原の彼方からは、濃霧が凄い勢いで駆け登ってきます。夕方には西の山にこの世のものとは思えないほど荘厳な光芒が現れます。標高九二〇メートルということもあって、朝の散歩では、草原に映った自分の影に後光が射すブロッケン現象にも出逢えます。野草や木々や動物たちの日々の変化も目を離せません。どれもここにいるから捉えられる瞬間ばかりですが、毎日感動できるのは、そこに『暮らし』があるからです。

 最近は、自然農法の野菜作りに夢中です。それを望んで来た訳ではないのに、自然と土いじりを始めました。出張から帰ってくると雑草だらけですが、二十種類ほどの野菜が虫と共に元気よく育っています。初めて胡瓜や茄子を収穫した時の喜びは、ラリーのゴールにも匹敵するものでした。とにかく、裏山に入って枝の手入れをしたり、廃材で露天風呂を作ってみたりと、夫と私の毎日は生活のあれこれで一杯です。正直いってこんなに自然暮らしの生活自体が刺激的とは思いませんでした。もっとバイクに乗れる環境が欲しいと思っていただけなのに、借りた開拓農協所有の土地は千坪もあり、オフロードバイク用のコースが出来てしまいました。整備用ガレージもあり、青空駐車場だった東京での暮らしが嘘のようです。ただし、お金は使わず、思いきり肉体を酷使しています。バックホーなど重機を使うときも、「縄文時代だったらどうするだろう」などと考えながら、なるべく大地に優しい方法をと心掛けています。

 冬場は平均気温がマイナス十五度になるほど厳しい環境ですが、毎日「気持ちいい」という言葉が出てきます。この混沌とした時代にあってなんて贅沢な生活なのでしょう。アレルギーが悪化し、都会生活不可能という身体になった為、切羽詰まってこの土地を捜し出したのですが、なぜ見つかったのかというと、実は簡単なことでした。私たちには絶対に崩したくない指針がありました。賃貸で、バイクや車にいい環境であり、東京へ二、三時間以内で行けること(今は全く思っていません)。本物の自然があり、動物が飼えること。そして、これが一番大切だったのですが、私たちらしい暮らしが出来ること。これらのどれをも妥協せずに、半年間で千件ほどの物件に接して選んだのですが、最後の最後は、目を瞑ってこの大空広がる草原に立ち、大地の発する『気』で決めました。ここなら元気になれるという気でした。廃屋と土地の形状を隠すほど雑草が覆い茂った酪農跡地。でもそこには私たちと通ずるものがありました。家探しの時、私たちは随分落胆の思いを味わいましたが、それはただ己を把握しきれてなかったに他なりません。家探しが自分探しの旅だったことが、今なら分かります。 同じように、この富士山界隈にも自然暮らしを始めたIターン組がいます。東京での友人が六家族。ここで知り合ったIターン者は二桁にのぼります。面白いのは、みんなそれぞれのスタイルと価値観を持っていることです。仕事も住処も家族構成も年齢も夢もさまざまですが、共通しているのは、実に楽しそうに日々を送っていること、そしてやたらと忙しいことです。ここでいう忙しいとは、普通の仕事のことではありません。「最近どう?」というのは、何作ってる?何に夢中?ということなのです。冬に備えて薪を割ったり、畑仕事を作ったり、家の手入れをしたり・・・何故か皆そうなっていきます。都会では必要のない生活回りのことが、どんなに大変で楽しいか、これは想像以上でした。反対に何か大変なことはと聞かれても、特にありません。近所づきあいも草刈りも買い物エリアが遠いのも大した問題ではないのは、喜びのほうが何十倍も大きいからでしょう。

 また最近、ここに移り住みたいという人に会いました。青いながらもアドバイスするのは、やはり「自分らしさ」です。盲目的に家探しを始めたころ、まだ自分が見えていない私たちは、すでに理想的な暮らしを始めている友人知人を訪ねては、こんな暮らしを、と憧れの眼差しで見つめていました。人のスタイルを見て「この土地がいい」と思い、同じ場所を探したことは数知れません。勿論そこは彼らの作品であって、私たちの場所にはなり得ません。何か違う、と彷徨ったお陰で目が覚めましたが、同じような探し方をしている人をよく見かけます。その時の自分が生きる「この地球でただ一点の場所」を見つけるのは大変なこと。けれど苦労をすれば、その後何が起きても笑って対処していけます。偶然ですが、私たちIターン組が見つけた土地は、いずれもダンプで何杯も運ばねばならぬほどのゴミの山でした。宝の山を掘り当てるのは、気力と体力かもしれません。

 呼吸をするだけで至福感に包まれるこの大地に感謝しながら、今日も一日が終わります。昔、私の夢はアフリカの砂漠を走ることでした。そして次なる夢はこの大地が教えてくれました。形にはなっていませんが、この素晴らしい所にみんながやって来て、ゆったりと時を過ごし、そして幸福感に浸ってほしいと思い始めたのです。旅に出ても、世界を走っても、思えば私は与えてもらうことばかりでした。赤の他人だからこそ、病む人の多い今の日本だからこそ、この大地の『気』で元気になってくれたらと思うのです。何が出来るのか、分かりません。特別な施設もないけれど、映画『フィールド・オブ・ドリームス』のラストシーンのように、この自然を求めて人々がやってくる光景を思い描いています。結局、田舎暮らしで気づいたのは、『生かされること』だったようです。
 



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