vol.17 2002年 1月 29日  遥かなるトンブクトゥ

鹿島建設株式会社の社内報ですが、世界文化遺産がテーマとのことで燃えました。でも私が行っているところは、たいていすでに書かれており、悩んだ末、彼の地に決めました。わずかな時間しか滞在しておらず、しかも苦しい思い出ばかりなのですが、故に今でもその郊外の景色や匂いが浮かんできます。勇気をもっとも出した場所でもあり、必ずまた行ってみたいのですが・・・。

エッセイスター第16弾  「KAJIMA」1998年10月号
「遙かなるトンブクツゥ」

土壁の波動は私の全てを大地へと戻してくれる

 遺跡にまつわるエッセイを・・・と言われて、即座に思いついたのは、マリ共和国のトンブクトゥだった。アフリカの砂漠地帯を車で駆け抜ける『パリ・ダカールラリー』では、お馴染みの土地である。私も2度訪ねたことがある。が、よく考えてみると、遺跡を観たことはない。長い歴史を持ち、多くの旅行客が訪れるところだと言うのは知っているのだが、いったいどんなところなのか、何も知らないのであった。
 シルクロードのトルファンでは、紀元前2世紀から栄えたという『交河故城』や玄奘三蔵で有名な『高昌故城』に感銘を受けた私。実は遺跡ニストである。が、モータースポーツとしてその大地を走る場合、じっくり浸ってられないのが事実である。毎日数百キロを移動し、ビバーク地点に着いたらすぐに車両整備。それを終えたら眠りを確保するだけが精一杯で、観光などあり得ない毎日なのだ。エジプトのアブシンベルも、チュニジアのカルタゴもそうだった。そしてトンブクトゥも。 けれどラリーで走る場合、必ず貰うものがある。それは大地の『気』。恐ろしいほど体力と精神力を使うラリー(ちなみに車両整備に追われた今年1月のラリーでは、18日間の1日平均睡眠時間は、なんと1.5時間だった)では、その土地や住んでいる人のパワーを貰わないと到底無理ということが、この頃分かってきた。生きている人の気も、既にこの世にカタチが存在しない人の気も、全てを受け入れる。サハラ砂漠はかつて広大な森であり、高度な文明が存在していた跡がそこかしこにある。そのパワーを頂かない手はない。
 しかし、一筋縄ではいかないのがトンブクトゥ。バイクで出場した昨年は、多くのラリー車両が通ったあとの道が荒れ、幾度も転倒。水に恵まれた砂漠はとても美しかったが、24時間走り続けて、町にたどり着いたのは朝の7時だった。そして休む暇なく出発と、地獄のようにきつかった。今年は四輪だが、最も車体がダメージを受けていた時で、時速30キロで泣きながら町を目指していた。
 「またトンブクトゥか。何でいつもこうなのかなあ」苦しめられるほどに、その大地が気になってくる。『ブクツー婦人』という意味を持つトンブクトゥ。遺跡を見て畏敬の念を持ってからラリーで走るべきだったのだろうか。彼女がにっこり微笑んでくれるのはいつの日だろう。いや、難関を突破して完走できたのだから、もう微笑んでくれているのかもしれない。とにかく今度訪ねる時は、その町の全てに触れてみたいと思っている。

◎マリ共和国の中部にあるトンブクツゥは、14〜16世紀にかけてサハラ南部の交易の中心地として栄えた。特に砂漠から運ばれた岩塩は同量の純金と交換されたともいい、「黄金の都・砂漠のエルドラド」の伝説が生まれる。またイスラム文化都市として数々のモスクやコーラン学校が建てられた。しかしサハラから吹き寄せる砂のため、かつての栄華は既に埋もれ、残された人口約2万人のトゥアレグ族の町も、100年後にはすっかり埋もれてしまうと言われている。(以上本誌訳注をそのまま引用)

トンブクツゥのサンコレモスク




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