vol.12 2002年 1月 17日  あそびと遊び <おとな時代>

本来なら10回に分けて書きたい内容を縮めたので、なんだか乾パンのような文章ですね。あっ1999年の秋と言えば、けっこう心が荒かった時期なので、その感じが出ていて可笑しいなあ。焦ってる乱暴者みたい。今一番興味のあるスポーツは、やはりカヌーがありますが、素潜り、フリークライミング、速歩かな。自分の身体を使うことがなにより好きですが、このホームページに没頭した今年(2002年)のお正月は、運動皆無で豚まんじゅうとなりました。ロケットが飛び出すあの「溜め」の勢いでおんもに行って駆け出したいワタシです。

エッセイスター第11弾  月刊「るびんにい」1999年10月号

大人の砂遊び(1987年ファラオラリーにて初めての砂丘に酔う)

 二十代よりは三十代、三十代よりは四十代の今という具合に、遊びの幅が広がっていったような気がする。オートバイ一本槍だった昔は、それ以外の何をかじってみても興味が湧かなかった。それが、どうだろう。今や私の趣味は書き切れないほどある。並べてみると、自然散策、ごみ拾い、自然農の野菜作り、園芸、フリーマーケット出店、スキューバダイビング、登山、温泉巡り、旅、ジョギング、夜空の観測、映画鑑賞、テニス、絵画etc。昔やっていた絵画やテニスなどは復活ものであるが、新たに加わったものが圧倒的に多い。最近は乗馬やカヤックもやってみたくて、きっとこれはかなりメインになって来る予感がする。『パリ・ダカール』などの海外ラリーやトライアルなど、車やバイクの遊びを入れたらとんでもない広がりになってしまう。身体はひとつなのになんでこんなになってしまったのか、自分でもよく分からない。ただ、ひとつひとつに共通の意味があり、私の中では見事に繋がっているのである。
 
 学生時代はテニスだけだった。そこから何かを見いだし、自分を探していた。しかし大人になると、その時に一番必要な「遊び」を見つけ、それに没頭することで生き延びているような気がする。それだけ思い通りに生きにくい社会構造なのだろう。登山を始めたのは、三十代始めに現代病にかかった時だった。アレルギーや訳の分からない不安を消し飛ばしてくれたのは、独りで登る険しい山々だった。小さい頃は親友だった大自然の有り様に、再び気がついたのもこの時だ。以来、散策、園芸、野菜作りなど、自然と遊ぶための遊びばかり増えていったのだが、それは改めて地球を学ぶことでもあった。そして不思議とそれからは、生き延びるというよりも、ただ楽しくてたまらないという風に変わっていった。しかしこれだけ沢山あると、それぞれが浅くなってしまうのだが、構わないと思っている。野菜など、今年は二百種類も種を撒いたのに、出張が続いて二回目の土いじりが二カ月後という有り様。畑は野菜と雑草の凄まじいシンフォニーのなっていたが、それはそれでいい。それが私の歩みでもあるのだから。とにかく誰にも束縛されず、評価も受けず、試験もなく、締め切りもなく、ただ無心になって時を過ごすのは、至福の時間である。

大人の泥遊び(2000年、富士宮市上野地区で初めての田植え。この日がきっかけで畑担当に任命されてしまう静岡市のつんちゃんと)

 最近「遊」という字は、風の様に道をゆく様なのだと改めて知った。なんて素晴らしいのだろう。そもそも学校(スクール)の語源のスコレーは遊びという意味なのだし、本当は仕事も恋愛も家族も生きているこの時間もすべて遊びなのだろう。だからという訳ではないが、私の一番お金のかかる遊び、海外ラリーは人生そのもののような気がする。たとえ苦しくても、死の影がチラつこうとも、車と自然と操る人間との一体感は何ものにも替え難く、最高の充実感があるのだ。だから転倒や故障などのアクシデントでリタイアせざるを得なくなった時に、誰もがこう言うのである。「もっと遊ばせて欲しかったなあ」と。今年の暮れもまた、アフリカの砂漠を目指そうと思っている。懲りない奴と人は言う。



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