vol.6 2002年 1月 9日 ★アフリカの道

こんな楽しい経験はなかなかないだろう。この世に偶然などないと思っている私にとって、まさにわくわくする体験だった。以前、初めてパリダカに出てリタイアした時に、すぐ近くを通過しているのだが、1989年のその時でなく、1999年の私だから遭遇したのだ。今でもとてもリアルにその時のことを思い出せる。また、いつか多分行くことになるのだろう。

エッセイスター第5弾 FASE1999年11月号
「アフリカの道」

 その日我々の車は、絶好のフォトポイントを目指して進んでいた。今年一月にアフリカで行われた『パリ・ダカールラリー』。初めて報道陣として参加した私は、カメラを抱えてプレスカーのナビゲーター席に乗り、十八日間のラリーを満喫していた。寝られない、食べられない、走りっぱなしという状況でも、ラリーは常にドラマの連続で、最高に楽しいものである。九日目、ほかの報道陣よりかなり先回りした我々がいたのは、マリ共和国のバンディアガラという巨石と巨木が織り成す岩の山脈で、ドゴン族の住む処。何千年も前に描かれたという洞窟の天文図は、余りにも有名だ。宇宙人が教えたとか、アトランチィス大陸から逃れてきた人が書いたとかいわれは様々で、もちろん興味津々だったのだが、競技中では観光する訳にもいかず、残念だなあと内心ボヤいていたのだった。

 そんな移動中のこと。近くの町で教えてもらった道が、だんだん細くでこぼこ岩になり、とうとう目的地の手前で断崖絶壁になってしまうという事態が発生した。呆然とする我々の回りに、純朴そうな村人たちがやってきて、いろいろとアドバイスをしてくれる。直線距離で一キロも離れていないのに、唯一の歩道は、人やロバの為のものだという。三時間かけて戻って大きく迂回か、別ルートで進んでゴール地点から逆走という二つの道を教えてくれた。こういう時、大きい町では結構いい加減なことが多いのだが、砂漠のオアシスでは、正しい道を教わることが多かった。彼らにとって道は一番大切なものなのだから、当然ではある。

 結局未知の道へと走らせて、先を急いだのだが、車が降りられる緩やかな下りの道に着いたのは、すでにトップがゴールする頃だった。そして覚悟はしていたけれど、そこは又もや浅間山の鬼押出しのようなでこぼこ道。ドライバーのフランス人は、過去九十六回も車でラリー取材をしているベテランカメラマンだが、すぐに車の腹を打ち、脱出するのに十五分。恐るべしアフリカの生活道路である。覚悟を決めた我々は、通りかかったドゴン族の子供たちをも巻き込んで、何百もの大きな岩をタイヤの轍の前に置くという、私設道路公団となった。三キロほどの道を下るのに、大騒ぎしながら三時間。暑さと重労働でぶっ倒れそうだったし、目的地に着くと、すでにラリーの選手たちは通過した後だったが、何故か車内には充実感が漂っていた。

 とにかくこの一枚も写真が撮れなかった日は、感慨深かった。バオバブの巨木や巨石群に囲まれた小さな村を通った時に、「ここに住んでいた!」という強烈なデジャブーに遭遇するというオマケまでついた。最悪な状況だというのに、その光景がすべて懐かしくて、一人ニンマリ。かつてドゴン族だった私は(?)、この体験をするためにラリーに参加したのだろうか。とにかくアフリカの道は、私を掴んで離さない。

 



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